力道山

Rider's Kick

12月9日。リアルジャパンプロレスの年内最終戦を観戦に後楽園ホールへ足を運びました。私の友人でもあるスーパーライダー選手を応援するためです。
この日のライダー選手の対戦相手は「力(ちから)」という選手。試合が始まり黒いロングタイツ姿の力選手がブンブンと空手チョップを振り回しながらライダーに襲いかかります。
それを軽いフットワークでヒラリヒラリとかわすライダー

一瞬の隙ができたのか?力選手が渾身の力を込めて降りおろした空手チョップがライダーの脳天を直撃しました!!ガクっと膝をついて崩れ落ちるライダー…「うわっ!!ちょっとこれヤバくない!!」力選手の空手チョップの威力はかなりのもののようです。

握手

試合はその後も一進一退の攻防を繰り返しながら最後はライダー選手が腕ひしぎ逆十字固めで勝利しました。試合後はお互いの健闘を称えあいがっちりと握手した両選手。


マイク

そしてライダー選手が力選手に一言「お前は確かに強くなって来ているがまだまだだ!力道山先生の血が流れていることを忘れずに頑張れよ」と
黒いロングタイツに力強い空手チョップを使うこの力選手。そうです力選手は「力道山三世」あの力道山のお孫さんです。
力選手はライダーの言葉に込められた深くて大きな意味を噛み締めて深々と一礼…感動した一齣でした。


「力道山かぁ~なつかしい。孫が試合に出てるなんて…もうそんなに時が経ったんだ」。プロレス会場には似つかわしくないそんな感情が、私の胸に込み上げてきました。力道山が亡くなってから今年でもう52年も経つのですね…
皆さんはご存知でしょうか?昭和20年代から30年代にかけてプロレス界に全国民を熱狂させたスーパーヒーローがいたことを…その名は力道山
まだ戦争の後遺症が残りその日に食べる物さえ不自由であった時代。敗戦国である私たち日本人は、アメリカや白人に対して強いコンプレックスを持っていました。
その戦勝国であるアメリカの白人を得意の空手チョップでバッタバッタとなぎ倒していく力道山。必然的に国民は皆、そんな力道山の勇姿のトリコになりました。

当時はまだテレビは一般家庭にはほとんど普及しておりません。ですから力道山の試合がある時は、街角のモノクロ街頭テレビの前には数え切れないほどたくさんの人だかりができました。
今ではとても信じられないような空前のプロレスブームというか?とにかくもう「猫も杓子も力道山」とでもいうような時代でした。正に力道山は戦後の日本の復興期を支えた国民的スーパーヒーローだったのです。

大門

その力道山の命日は12月15日。会場で知り合った力選手のお母様に「15日にお寺で法要があるので、女将さんもよろしかったら来て下さいね」と仰っていただいたのですが…親戚でもない私が同席するのもやはり気恥ずかしさがあり、私は一足早く力道山が眠る日蓮宗の大本山、池上本門寺へお墓参りに行きました


日蓮聖人

そして池上本門寺といえば法華経の伝道者、日蓮宗の宗祖である日蓮大聖人の終焉の地であります。まずは力道山のお墓参りの前に寺頭にある日蓮大聖人の石像に「南無妙法蓮華経」とご挨拶。(写真)
「我れ日本の柱とならむ。我れ日本の眼目とならむ。我れ日本の大船とならむ」と記された日蓮大聖人の誓願に感動で目がウルウル(T-T)。


本堂

その後も本堂の御本尊様に「南無妙法蓮華経」とご挨拶させていただき力道山のお墓に向かいました。本門寺の墓園はとても広いのですが、力道山のお墓までは案内板が出ておりとてもわかりやすいです。


力道山

案内板の通りに進み遂に力道山のお墓に到着
「ああ力道山。なつかしい~。父ちゃん。力道山だよ」
遠い昔、まだ幼かった私は力道山が大好きだった父に連れられ、近所の縫製業を営むお宅にテレビがあり、父はその縫製の仕事を分けて頂き、私は小遣い稼ぎに子守をさせて頂いておりましたので、そのお宅に金曜日の夜8時になると父と二人で力道山の試合を観戦しました。

その頃の記憶が私の脳裏を霞め、私はごく自然に天国の父に語りかけていました。
思えばあの頃の日本は…貧しくお金も物も不足し食物さえ乏しかった時代です。でも心はとても豊かだった。貧しくとも国民の瞳は夢と希望で輝いていた…そんな気がします。
以前読んだマキャベリというイタリアの外交官が書いた本に「国が大きくなりすぎて機能しなくなったら元の姿に戻せばいい」と書いてあったような気がするのですが
現在の日本は確かに豊かになったけれど、大切な何かを忘れてしまったのではないか?そんなことを考えてしまいました。

遠い昔の父との記憶をたどりながら思い出したことがあります。テレビで観戦した帰り道、力道山の勝利に上機嫌の父が道端の露店で食べさせてくれた「ごった煮」と呼ばれた料理の味が忘れられません。
少量の野菜をお米と一緒に煮込んで、味付けは醤油と塩をふってあるだけのシンプルな料理だったのですが…思えばこの頃食べた「ごった煮」が現在の「かまだ家の釜飯」の原型になっているのです。
道端の露天で「ごった煮」を食べていた私がまさか将来「釜飯レストラン」の女将になるなんて…まだ幼いこの頃の私は夢にも思いませんでした…


法華経の伝道師日蓮大聖人、そして日本プロレス界生みの親である力道山所縁の地、池上本門寺でもブログの愛読者プレゼントとしてお守りを購入してきました。
希望される方は店内で私を見かけたらお気軽にお声がけ下さい。

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