一期一会★

子供の頃の私は雨の日が大嫌いでした。
理由はいたって簡単、家が貧しく傘を買えなかったため、雨の日はずぶ濡れになって登校しなければならなかったからです。豊かになった現代の日本では考えられないかもしれませんが、当時の我が家は三度の食事も満足ではなく、着るものはほとんどよそ様からいただいたお下がり。義務教育の教科書も当時は有料でしたので買うことができません。ですから教科書もよそ様からいただいたものを一番上の兄から二番目の姉へ、そして三番目の兄から末っ子の私に渡されるのです。我が家では一冊の教科書がボロボロになりながら10年以上も活躍したことになりますね(苦笑)。

空色の傘

はり たつお氏「空色の傘」
太田新田店に展示中

そんなわけで傘や長靴などの雨具も、よそ様からいただいたものを使っていました。私が小学校へ入学する頃には、履き古された黒い長靴は、すでに穴も空いてて役目を果たしてくれません。黒い大きな傘も雨漏りもするし重くて重心もとりずらく、友達にもからかわれます。なので私は雨の日は傘もささず長靴も履かずに登校していました。私が傘を買ってくれと父や母に懇願すれば、貧しいながらも必死に家計を支えてくれている大好きな両親を苦しめることになります。だから私は両親の前ではカラ元気を出して「雨、雨、降れ降れ母さんが~」と強がりながら童謡を歌い学校に通っていました。しかし心の中はいつも泣いていました。「雨の日は空が泣いている。だから私の心も泣いているんだ。」そんな心境だったのです。もちろんそんな私の心の中を、父や母も気付いていたと思います。それでもどうすることもできなかったのだと思います。想像を絶する貧困な生活だったので…貧しくても優しい父と母、そして二人の兄と姉に囲まれて私はとても幸せでした

でも雨の日だけは憂鬱で暗く悲しい気持ちになりました。それほど大嫌いな雨の降る日でしたが、今でも決して忘れることのない出来事があります。60年程前のある雨の日のことです…その日も朝から雨が降っていました。当時七歳位だった私はいつもの雨の日と同じように、濡れながら学校へ向かい歩いていました。冷たく降りそそぐ雨に泣きべそをかきながらも、私はふと後ろに人の気配を感じ振り返りました。するとそこには傘を持ったとても綺麗で優しそうなお姉さんが立っていました。「うわ!!きれい!でも誰だろう?この人?」。知らない人を見て呆然と立ち尽くす私にお姉さんは「濡れちゃうよ!」と優しく声をかけ、そっと傘を差し出して下さいました。あまりに突然のことだったので、私は声を発することもできず天使のようなそのお姉さんの顔を見つめ、ただ呆然と立ち尽くしていました。何とか気を取り直し「でも…」と言うと、お姉さんは「あなた、いつも雨の日は濡れながら歩いてるでしょ。ずっと気になってたの。良かったらこの傘、使ってね。返してくれなくていいから。」と花柄のかわいい傘を手渡して下さいました。夢を見ているようなドラマを見ているような感覚でした。

私は「頂いちゃっていいのかな?」と思いつつ、とても嬉しくて深々と頭を下げ「ありがとうございます」とお礼を言いました。お姉さんはにこやかに手を振って帰って行きました。私はお姉さんの後ろ姿を見送りました。そしてそのお姉さんが入っていったお店の看板を見て脳裏に焼き付けました。看板には「○○カメラ店」と書かれておりました。通学路の途中にあるカメラ屋さんの人だったのですね。きっとそのお姉さんは雨に濡れながら学校へ通う私の姿を、店の中から何度か目にして心配してくださっていたのだと思います。その日を境に私は嫌いな雨の日が大好きになり、傘をさせる日が待ち遠しくなりました。でもその日以降、雨の日に傘をさしてカメラ屋さんの前を通っても、お姉さんに会うことはありませんでした。傘のお礼にと花を摘んでお店へ行ったこともありましたが、お姉さんには会えませんでした。私はその後、家の事情で引っ越すことになり、お姉さんとはたった一度切りの出会いになりました。きっと雨の日に、傘をさして嬉しそうに学校へ向かう私の姿を、お店の中から温かな眼差しで見守ってくれていたと思いますが…そのお姉さんのことを忘れることはありません。大人になってからも親しい友人には、その時の話をしたことがあります。折に触れ思い出し気になっておりました。あの綺麗なお姉さんはあれからどうしているのだろう?………

先日、家族連れのお客様がご来店くださいました。頻繁ではありませんが年に何度かご来店くださるお客様です。そのお客様には去年ご来店頂いた際に、お土産の釜飯を購入していただきました。その際に私どものミスで、ご注文いただいた釜飯とは違う商品をお渡ししてしまいました。その上、代金はご注文いただいた釜飯の方が高価だったので余計に頂戴してしまっていたのです。全くもってありえないとんでもないミスです。もちろんそのお客様は帰宅後に私どものミスに気付かれ、電話をくださいました。丁重に謝罪し、代金の返金を申し上げましたが、そのお客様は私どものミスに腹をたてることもなく「また行った際に返金してもらえれば大丈夫ですよ。」と寛大に接して下さいました。それから半年…なかなかご来店くださらないそのお客様のことが気になり、その日はスタッフと「忘れちゃったのかな?電話番号を教えていただいてるので、こちらから電話して住所を教えていただき送金しようか?」などと話しておりました。そうしたところあるスタッフが「社長!そのお客様、来てくださっています。」と私のもとへ飛んできました。私はすぐにそのお客様のお席に出向き、名刺を差し出し「代表の須賀でございます。偶然にも今ちょうど、お客様の話をスタッフとしている最中でした。その節は大変申し訳ありませんでした。」と謝罪させていただきました。お客様も「私達もすっかりそのことを忘れていました。店員さんとの何気ない会話の中でその話が出てきて思い出しまして!住まいが小山市なので釜田家さんには法事の時など、年二回くらいしか来ません。こちらこそなかなか来れなくてすみませんでした。」とおっしゃりながら名刺を下さいました。

頂いたお客様の名刺を拝見したその瞬間、私の全身は強い衝撃を受け固まってしまいました。名刺に書かれていた会社名は何と!!「○○カメラ店」!………そうです!雨に濡れながら登校していた幼い頃の私に、かわいい花柄の傘をくださったあの綺麗なお姉さんのいた「○○カメラ店」と同じ名前です!しかし子供の頃の私が住んでいたのは足利市、そのお客様の住まいは足利とはちょっと離れた小山市です。単なる偶然か?とも思いましたが、私はお客様に「あの~つかぬことをお聞きしますが…足利にもお店はございますか?」と聞いてみました。お客様は「ええ、ありますよ」と即答してくださいました。偶然ではありませんでした。そのお客様は私に傘をくださったあのお姉さんと同じ「○○カメラ店」の方だったのです。込み上げてくる感情に目頭を押さえながら、私はお客様に幼き日のその思い出をお話しさせていただきました。真剣に私の話しを聞いて下さったお客様は「とても良いお話しが聞けて私達も嬉しいです!帰ったら母にも話します。そのお姉さんが母かどうかはわかりませんが…きっと喜ぶと思います。そうですか…そんなことがあったのですね…お土産のミスがなければ、社長さんからその話をお聞きすることもなかったかもしれませんね。釜田家さんとは不思議なご縁ですね」とおっしゃってくださいました。…お客様は何度も振り返りながら嬉しそうにお帰りになられました。あのお姉さんがお客様のお母様だとしたら…もしかしたら60年ぶりに再開できる日が来るかもしれませんね(でも、よく考えてみれば、お店に来て下さったお客様は私の息子と同じ位の年齢だと思いますので、60年前のお姉さんが20歳すぎだと思いますので、おばあ様かもしれませんね★)…きっと神様が私の想いを届けてくださったのかもしれません。今回お客様から「ご縁」というお言葉をいただきました。そうです。私ども釜田家にとってご来店くださるお客様は全て、ありがたき「ご縁」によって繋がれた大切な方々す「縁」が「円」を呼んでくれるのです。語呂合わせをしてお金の話をしているのではありません。「円」「まどか」とも読みますね。「まどか」とは角や欠けたところがない「円満な状態」を表します。人と人との出会いである「縁」を大切にすることが「円」を呼び、お金も含めた「人生の円満」に繋がるのです。そんなことを強く感じた今回の出来事でした。茶道の世界には「一期一会」という言葉があります。どんな茶会に於いても亭主、そして客人との出会いは一生に一度の機会と考え、主、客共に誠意を尽くすべきとの教えです。「一期」とは仏教で、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生のことをいいます。私はあのお姉さんからその「一期一会」の精神を教えていただきました。そしてその温かな心づかいは私にとって「一期一(恵)」いや「一期百(恵)」にもなりました。そのことを胸に刻み、より一層と気を引き締めて、これからもお客様との「ご縁」を大切にしていきたいと思います。素晴らしき「出愛」に感謝♪それではまた😄😄😄

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