パンドラの箱

2018年の11月を最後にブログの更新をしておりませんでした。
コロナ禍による業績の悪化から組織や従業員の生活を守るため、毎日の雑務に追われ心に全く余裕がなかったのです。そんな中、昨年の11月には当社の会長であり私の夫でもある須賀進が75才で逝去しました。

以前のブログにも記しましたが、夫はその破天荒な生き方や生活の不摂生もたたり、何度も大病に見舞われ入退院を繰り返していました。晩年は少しづつ人の心を取り戻していき、知り合った頃のように穏やかでお茶目な本来の性格に戻ってくれましたが、若い頃には散々な思いをさせられたこともあります。そんな夫の逝去はある程度覚悟していたこととはいえ、実際にいなくなってしまうとやはり寂しい限りです。少し心もへこんでしまっていました。

しかしながら先日、その夫に関するある出来事がきっかけとなり元気をなくしていた私の心に再び明かりを灯すことができました。ここ数年の一連の出来事から感じた今の私の想いを本日、本当に久しぶりにブログに綴りたいと思います。

冒頭で申し上げたようにここ数年間の私の生活は、コロナ禍への対応に全身全霊全力を解放し立ち向かう毎日でした。何とかここまで持ちこたえ無事に2022年も新年を迎えらたこと、それは私にとって奇跡のようなことです。私達人類はまるで「パンドラの箱」を開けてしまったのではないか?そんなことさえ思ってしまうほどにコロナ禍に振り回されたここ数年間だと思います。「パンドラの箱」とは以前のブログでも少しだけ記載しましたが、ギリシャ神話の次のような物語です。
全知全能の最高神ゼウスは、地上最初の女性となるパンドラに、ありとあらゆる不幸と災いの詰まった箱を渡し「絶対に開けてはならない」と命じ地上に降ろしました。
しかしパンドラは好奇心にかられ、ゼウスからの言い付けを破りその箱を開けしてしまいます。すると中にあった不幸や災いが一気に飛び出し世界中に広がっていきました。
慌てたパンドラはすぐに箱の蓋を閉めました。
たった1つ「エルピス」だけを箱の中に残して…

ここ数年私が直面した現実は、正にそんな「パンドラの箱」から飛び出した不幸や災いが一気に襲いかかってくるような状況でした。
私は若い頃から苦労体質というか苦労慣れ?しているというか(苦笑)
そのせいもあり当初は「今までも厳しい状況は何度もあった。今回もまあ何とかなるだろう」と悠長な考えでいましたが、日に日に感染が広がり数度に渡り繰り返される緊急事態宣言により、店舗の運営は悪化の一路をたどるばかりでした。若い頃の経験、そして生涯を通して信仰していくと魂に誓った法華経への信心を支えにして、ふらふらになりながらも何とか凌いで踏ん張っていましたが、昨年は何度も「もうこれ以上は無理だ。もう終わりだ」と感じたこともありました。
しかしその都度その都度、奇跡のような不可思議な出来事があり、急場を凌ぐことでき、倒産という最悪の事態だけは免れることができました。「こうして何度も急場を凌げるのは私にはまだやるべきことがある。やるべきことが残っているんだ」。そう自分に言い聞かせ奇跡のような出来事に感謝の念を抱くことで、少しでも前向きな気持ちになれるように努めておりました。よくよく考えてみれば人間なんて落ちるだけ落ちれば後は上がるしかない。
もっと開き直って考えれば、どんな状況になっても死ぬ時までは最後まできちんと生きるしかありません。仙台の盟主 伊達政宗公が言うように「この世に客に来たと思えば何の苦もなし(自分を主人公と考えずにこの世には客人として来たと考えれば何の苦しみもない)」のかもしれません。

披露宴に客人として招かれて、出された料理を「こんなのまずくて食べられない」とは言えませんよね(笑)
それと同じように今私達が生きているこの世界が「この世という披露宴」であり神様からの招待席だとしたら!
起きている現実(出された料理やスピーチや歌などの余興)に料理がまずいだの下手な歌を聞かされて耳障りだのと不満など言ってられません。

料理は美味しくいただきスピーチや歌には笑顔で拍手を送ることが人としての礼儀、礼節です。同様にしてこの世で生きながらに直面する現実に対しても、何事であれ前向きに対処していくしかないのです。昨年大ヒットしたアニメ映画「鬼滅の刃・無限列車編」のラストシーン。この物語で主人公的役割を果たした炎柱・煉獄杏寿郎は、上弦の鬼という強力な敵との戦いの末、力尽き命果てる時、若い剣士達にこう言います。「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさにどれだけうちのめされようと心を燃やせ。歯を喰いしばって前を向け。君が足を止めてうずくまっても時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って悲しんではくれない」…この言葉こそコロナ禍という今を生きる私達に必要な心構えではないでしょうか。「パンドラの箱を開ける」こととは 触れてはいけないものに触れること、やってはいけないことをやってしまうこと等の喩えに使われます。

夫と二人で創業したこの「かまだ家」も早いもので創設して半世紀が過ぎました。
組織というものは、古くなれば古くなるほどそれまでに培ってきた慣習やしがらみに囚われてしまい、変化を拒み時代の流れに遅れてしまうことがあります。
一向に収まる気配のないコロナ禍に於いて、これからも飲食業を営んでいくということ、それには相当な覚悟と決断が必要です。メニューや価格の変更を始め、根本的な事業形態の見直しを計っていかなければなりません。これからやるべきことは山積の状態です。それらを遂行していくこと、それはもしかしたら「パンドラの箱」を開けてしまうことになるのかもしれません。でもひょっとしたら?そこから「ビッグバン」が起こり全く予想もしなかった新たな展開が待っているかもしれません。同じように私達個人1人1人の生き方も、もっと広い目で見渡してみればこの世の中も変化を求められているのかもしれません。

コロナウィルスの蔓延は、私達人類に根本的な生活の変化や価値観の変容を促しているようにも思うのです。
その変化や改革には「痛み」が伴うこともあるでしょう。
でも新しい時代を生きのびていくにはそれらは決して避けては通れない道…
パンドラの箱には「エルピス」だけが残りました。
エルピスとは古代ギリシャ語で「希望」という意味です。
そう!私達人間は苦難に苦しみ、もがき 、そして疲れ果てても、その苦難や苦悩の全てを出しきった先に「希望」が残るのです!
それを教えてくれたのが昨年逝去した夫でした。

夫の49日が過ぎたその日、亡くなった夫が古参の従業員の夢枕に立ちこう言ったそうです。
「あのさぁ~、俺ね、神様になったんだよ」!
後日その話を従業員から聞いた私は思わず笑いで卒倒しそうになりました。
私は法華経の信仰をしているお陰で、数名の御僧侶様方と懇意にさせてもらっています。その数名の御僧侶様方が通夜や告別式だけでなく、後日弔問にも来てくださりました。立派な御僧侶様方が何人も夫に手を合わせ読経してくださったのです。夫は何か勘違いをしてしまったのかもしれませんね(笑)それにしても私のところではなく従業員の夢に出てくるなんて!
きっとその話を信じて聞いてくれる人だからなんだろうと思いました。
私だったら「何をバカなこと言ってるのよ!」と一括しただけでしょうから(笑)
でも…「あの人らしいなぁ~。きっといい所へ行ったんだろうなぁ~」と安心させられたし、こうしてへこんでいた心を元気にさせてもらうことができました(笑)

夫が本当に神様になったのか?それは私にはわかりません。それこそ正に神のみぞ知ることでありましょう。でもその話を聞いて、私はこうして再び胸に希望を抱くことができました。夫は亡くなっても…私の前から姿を消しても…その夢を通して私に希望を与えてくれたのです。夫が私に残してくれた希望✴それが「かまだ家」。私は今、心の底から夫にこう思っています。「ありがとう。あなたと造ったこのかまだ家!皆と共にしっかりと守っていくからね!私の力の続く限り!」…散々苦労をかけられた夫ですが今は感謝の気持ちでいっぱいです🍀

最後までお読みいただきありがとうございます😌
どんな時も「希望」を忘れずにこれからも共に頑張っていきましょう!このブログをお読みくださった皆様の心にも希望の明かりが灯り益々のご幸運に恵まれますように!心からお祈り申し上げます。いのちに合掌✴

それではまた😉✋


エルピス

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