絶望を希望に変える私の言霊
一年が過ぎるのは早いもので今年ももう11月、後2ヶ月を残すのみとなりました。11月は古くから霜月(しもつき)とも呼ばれ、寒さ厳しい冬の到来を告げる季節でもあります。
この寒い季節の到来が、日々の仕事で忙殺されている私の心に毎年あることを知らせてくれます。「ああそうだ!今年もあの季節がやってきたのだ」と…皆さんはご存知でしょうか?21世紀となった現代にも、想像を絶する命懸けの修行に挑む僧侶達が、この日本に存在するということを…その修行は日蓮宗大本山、中山法華経寺大荒行堂で11月1日から翌年2月10日までの百日間に渡り、最も過酷な厳冬の時期に行われます。
世界三大荒行の一つとも言われております。自ら望んで全国から集まった多数の修行僧達は、早朝の2時に起床し、寒水に心身を清める「水行」を朝の3時から3時間ごとに夜11時まで計7回行います。その間の時間は「法華経万巻の読経三昧」。更に寒風の中での「木剣の相承」や、相伝書の「書写行」も加わり、寒さのために手や足にできたヒビやアカギレが裂け、血が吹き出してくるそうです。
修行僧達は日に2時間の睡眠と一つの梅干し、朝夕2回の薄粥をすすり命を繋ぎます。このような過酷な環境の中で寒さや空腹、眠気に耐える精神鍛練に励み祈りの力を鍛えていくのです。人々を救う「祈祷力」を養成するために避けては通れない道であり、日蓮宗ではこの修行を終えた者だけが「修法師」として認められ、祈祷の秘法が相伝されます。
2月10日の成満の日は大荒行の最終日です。入行時に固く閉ざされた瑞門が開かれ、大荒行堂の中からは、髪もヒゲも伸び切りガリガリにやせ細った、しかし瞳だけは力強くギラギラと輝かせた修行僧達が、一斉に呪文のようなものを大きく張り上げながら出行してきます。修行僧達がしわがれた声で一同に口に唱えるその呪文は「南無妙法蓮華経」…「南無妙法蓮華経」については以前にもブログに書かせていただました。
そうです。この「南無妙法蓮華経」こそが、人生の苦難に直面する度に、私を救ってきてくれた言霊でした。「南無妙法蓮華経」を直訳すると、仏教の開祖であられるお釈迦様が説いた最高の教え「妙法蓮華経」略して「法華経」に「南無」する、即ち「法華経」に帰命します、命懸けで信じますという意味にしかなりません。私は法華経のお題目であるこの「南無妙法蓮華経」を、宗派を越えた全ての神仏の総称、種別を越えた全ての生命体の総称と捉え唱えてきました。
簡潔にいうならば南無妙法蓮華経は「宇宙を司る永遠不滅不変の真理」です。つらい時、苦しい時、心身共に疲弊して人生に行き詰まり絶望感に襲われた時、私は常にこの「南無妙法蓮華経」を唱え、心の杖として支えとして人生を歩んできました。その度に奇跡的な現象が起こり救われてきたのは事実です。もちろん私は上記のような荒行を積んだ僧侶ではありません。日蓮宗の壇信徒でもなく、個人として「法華経」を信仰する、ただの一介の信者に過ぎません。荒行のことを書いたのは寒さ厳しいこの時期に、命懸けの修行に挑んでいる「日蓮宗」の多数の修行僧達がいるという事実を、少しでも皆様に知ってほしかったからです。余計なお世話かもしれませんが…私は冬の訪れを告げるこの時期になると、修行の成満を祈り修行僧達の魂に「南無妙法蓮華経」のエールを送っております。
それは私が何度も何度も「南無妙法蓮華経」によって救われてきたからです。そしてこれからもそのことが変わることはないでしょう。どんなに懸命に信仰をしていても、人生にはなかなか思うようにならないことが多々あります。苦労や苦難に直面して絶望してしまう時も…私はそんな時にも「南無妙法蓮華経」を唱えながら、もう1つの言葉を思い出し唱えることで、瞬時に絶望を希望に変えてきました。
法華経弘通に生涯を捧げた日蓮宗の祖師、日蓮大聖人のお言葉です。日蓮大聖人の生きた時代は、法華経信者を標榜するだけで弾圧や迫害を受け、時には命までも狙われる法華経信者にとって正に「冬の時代」でした。そんな信者達を励ますように、日蓮大聖人はこう書き記しております。「法華経を信ずる人は冬の如し。冬は必ず春となる。いまだ昔より聞かず、見ず、冬の秋とかへれる事を。いまだ聞かず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を」…信仰の世界に限らず、現代でも政治や社会、組織に於いて正しいことをしようとしたり、不正を暴こうとすれば、いわれのない非難や中傷を受けたり、弾圧や迫害などの受難を経験することもあります。正に「出る杭は打たれる」そんな世の中ですが…それに負けずに頑張っている人達の魂にも私はエールを送りたい。
「冬は必ず春となる」そして「冬来たりなば、春遠からじ」🌺と…御拝読ありがとうございます。南無妙法蓮華経☀️それではまた😄😄